孝道山歩(こうどうさんぽ)

2019/09/01

受戒式

〜仏法求めて各地から 人集うすがすがしさ〜

 「自分自身の心を磨くことに務め、そして人びとを助け、人びとの真の幸せのために働きかける人が“菩薩”です」
 5年ぶりとなる孝道山の受戒式が、残暑厳しい8月25日午前、本仏殿本堂で営まれました。
 受戒式は菩薩の戒を授かり、菩薩の生き方を自覚するための儀式。中学生以上の受戒者142人が各地から参加しました。
 
 戒を授けるのは戒師の岡野正純孝道山本仏殿統理です。菩薩は自分の心のあり方に責任をもち、人びとの幸せに尽くす人であることを受戒者たちに語りました。 
 道場はご宝前にご仏舎利(お釈迦さまのご聖骨)がまつられ、緊張した雰囲気に包まれました。
 
 戒(浄戒)は「よい行い」「よい習慣」の意味で、授かるには心身が清浄でなければなりません。受戒者たちは「身口意がつくる所の 三世一切の悪不善の業を懴悔し奉る」と告白し、受戒に臨みました。
 菩薩の戒は「悪いことはしない」「善いことをする」「他のために尽くす」。止悪、修善、利他の三聚浄戒です。受戒者たちはそれぞれの戒について、「能く保つことを決定し奉る」と唱えて持戒を誓いました。
 続いて、仏弟子になる結縁の儀式が行われました。堂内にお題目が響く中、戒師と副戒師の前に進み出て合掌し、ご仏舎利と白いひもで結んだ「結縁籌」を頭上に頂きました。

 参加した大友秀人さん(52)は「妻が5年前に受戒してとても前向きになりました。その姿を見て教えのすばらしさを感じていました」と話します。
 福島から来た園部皆斗さん(17)といとこの羽賀円香さん(19)は、4月の花まつりに参加するなど仏教の教えに触れる機会が増えてきました。「受戒式に出て気持ちが引き締まりました。仏教を積極的に学びたいです」と抱負を述べました。

 受戒式が行われたこの日は厳しい暑さに見舞われましたが、道場の中は仏法を求める人たちのすがすがしさで、心地よい涼風が吹いているようでした。


 

2019/07/31

表参道の急坂

〜勾配のきつさの裏に 人の手の温もりあり〜

 記録的な日照不足といわれた先月のようやく晴れた日の朝、孝道山の表参道の坂下から境内を見上げました。大黒堂の宝珠が明るい日差しに照らされています。
 ここから大黒堂の立つ境内までは大人の足でおよそ170歩。距離で100b余りですが、坂の勾配はきつく、若い人でも息が切れます。途中、直角に曲がるカーブのところが踊り場になっていて、ここで一息。それにしても、この急な参道、どのようにして整備されたのでしょう?

 ここ「鳥越山」の地に、孝道山の道場(現在の道場の前身)が建ったのは67年前の1952年(昭和27年)7月のこと。元は梅林の丘陵地でした。

 太平洋戦争末期の45年5月29日、横浜は米軍による大空襲に遭い、孝道山もそれまで金港町(横浜市神奈川区)の道場を焼失しました。敗戦後に再建した六角橋道場(同)も疎開から戻ってきた信徒たちで手狭になり、新たな道場が必要となりました。

 そこで48年9月から、道場を建てるための整地作業が信徒の手で行われました。当時の写真を見ると、重機はまだなく、ひらすら人海戦術。丘陵の斜面をつるはしで切り崩しては、土を運び出す作業を繰り返しました。

 「朝8時六角橋道場に集合して1日の無事を祈り、いざ、鳥越山へ。すぐに作業着に着替えて、つるはしやシャベルを握り、土を運ぶリヤカーを引っ張って、皆、汗と泥まみれ。自分たちの道場をつくっているという気概ではつらつとした雰囲気でした」と、作業に参加した信徒が振り返ります。

 当時は車社会が到来する前で、鳥越山の周りも道路は舗装されておらず、町の人はリヤカーを引いて荷物を運んでいました。現在よりもゆっくりした時間が流れていたことでしょう。

 参道の旧坂もこのように多くの人の手をかけて土が削り取られ、歩きやすいように地面がならされました。そして自動車が普及すると、アスファルト舗装が施されました。

 勾配のきつさの裏に歴史あり。人の手の温もりの記憶を一歩一歩に感じながら、きょうも参道を上ります。

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